1.沿革、変遷
当寺はもと盛光院と称した。
○開基
永禄5年壬戌(1562)秋穂飛騨守盛治の建立と伝えられる。
(注)永禄年間(1558~1569)大内氏終焉を告げ、毛利輝元の時代となる。今より400年余り前のことである。
○【遍明院】の寺名の由来
はじめ秋穂飛騨守盛治は旧主の大内政弘、同義興、同義隆および盛治の父盛光、母(盛光の妻)の霊を祀るためこの寺の建立を計り、その位牌も造られた。その後約100年を経過した延宝年代(1673~1681)に至って、当時の社寺奉行毛利八郎左衛門の役中に「盛光院」の寺名が毛利輝元の室清光夫人の法諱「清光」と同音の故をもって、今の寺号「遍明院」に改めた。
○山号 龍光山
○本尊 阿弥陀如来
2.宗旨・宗派
真言宗 本山 高野山 金剛峯寺 和歌山県伊都郡高野町
2016年4月
境内に紅葉を植樹し、砂利を敷きなおしました。写真左手の石はさざれ石と申しまして、国歌「君が代」の「さざれ石の巖となりて」という歌詞で登場する石です。石灰により小さな石が固まったもので、古来よりこれを和合の象徴として捉えておりました。当山にお越しの際は是非触れてみて下さい。